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根尾谷 淡墨さくら マップ 平成21年4月9日 日本3大さくらのひとつで岐阜県本巣市根尾にある樹齢1500年以上の神代桜に次ぐ古木の淡墨桜 例年の見ごろは4月中旬。ことしは異常気温で早めの開花。大垣ICから120分。この桜の魅力は、見事な姿だけではなく、伊勢湾台風で枯死寸前となった桜を、作家宇野千代や桜守り達の努力により生き返らせた。 |
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立ち寄った養老SA | 駐車場から7〜8分 | ||||
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淡墨観音寺 | |||||
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能郷白山 | |||||
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根尾谷 断層 マップ 1891年10月28日午前6時38分50秒に東海地方を襲ったマグニチュード8.0の巨大な濃尾地震は、岐阜県本巣市根尾を震源とした。日本の内陸部で起きた地震としては最大級の直下型地震で、本巣市根尾の水鳥(みどり)地区は、上下差6メートルにも及ぶ根尾谷断層が地表に出現。国指定の特別天然記念物。 |
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地震断層観察館 | |||||
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谷汲さくら 華厳寺 マップ 谷汲さんの愛称で親しまれる当山は正式に「谷汲山華厳寺(たにぐみさんけごんじ)」といいます。 豊然上人によって798年(延暦十七年)にて草創されてより醍醐天皇、朱雀天皇、花山法皇、後白河法皇を始めとする皇室、朝廷からの帰依厚く、いにしえより観音信仰の霊験あらたかな美濃の名刹として1200年に渡って信仰を集めてきました。また当山は日本最古の観音霊場である「西国三十三所観音霊場」で第三十三番札所で結願・満願霊場。 春には桜、秋には紅葉の名所。 |
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旧名古屋鉄道の谷汲駅 | 華厳寺までの参道は桜並木 | ||||
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谷汲温泉満願の湯 大垣市ホテル到着が遅くなるため食事・入浴す | |||||
養老公園(養老の滝) マップ 平成21年4月10日 大垣IC・関が原ICから15分 養老の滝は、高さ約30メートル、幅約4メートルの滝で、巨岩老樹に囲まれた公園の奥深くにあります。岩角を打ってとうとうと流れ落ちる水は清冽を極め、くだけ散る飛沫が霧のように立ちこめて、夏なお肌寒さを感じさせます。見事な景観は、孝子伝説を秘めて、名瀑の名に恥じません。 孝子伝説とは、親孝行なきこり、源丞内が山中で見つけた山吹色の水が、実は老父の大好きなお酒で、これを飲んだ老父はすっかり若返ったというもの。 この不思議な水の出来事が、都にも伝わり、奈良の都の元正天皇は、早速この地に行幸になり、ご自身も飲浴され、「肌は滑らかになり、痛むところが治りました。「老いを養う若返りの水」と、年号を養老と改められ、80歳以上の老人に位一階を授け、この地方の人々の税を免除したといいます。 |
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駐車場から滝までは登り道を徒歩20分。 わき道にある車道で(やや狭く離合の難しいところもある)滝の上部までは3分。濃尾平野を一望できる。 | |||||
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養老公園 一帯はさくらの名所 川の上流が滝 | |||||
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関が原古戦場 マップ 真夏の古戦場 関ケ原合戦の午前中の戦況は、西軍75,000余の内、参戦していたのは、石田、小西、宇喜多、大谷隊の35,000余の軍勢のみで、他は静観していたが、西軍は東軍を圧迫し、優勢でした。東軍は南宮山の毛利隊に備えていた有馬・山内隊も前線に投入し、家康本体も戦況打開の為、今の陣場野まで進出しました。戦況不利とみた家康は、かねてから内応を約束していた小早川隊に催促の一斉射撃を命じました。この威嚇により、小早川秀秋は決意し、西軍、大谷隊の背後から攻撃を始めました。西軍絶対有利の陣形で望んだ合戦でしたが、小早川の裏切りにより、大谷、平塚隊の奮闘もむなしく敗れたのです。 この敗退を機に小西隊が敗走を始め、宇喜多隊も正面から福島隊、側面から小早川隊の攻撃をうけて敗走した。残った石田、島津隊は新手の東軍とも奮戦しましたが、石田隊が江州方面へ敗走。最後まで戦場に残った島津隊も、兵を集め一丸となり家康本陣前を敵中突破して、伊勢街道方面へと脱出した。 |
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古戦場の碑 | 駐車場から5分登ったところ 三成碑 | ||||
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石田光成の陣地からみた盆地 | |||||
2度目の関ケ原観光 平成25年8月25日 |
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中央は近くに合戦貸し衣装屋さんで変装の方 | |||||
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